ドイツをきれいにする会(和名)、Wir machen Deutschland sauber(ドイツ語名)、CLEAN GERMANY・TEAM CLEAN(英語名) は、2015年3月にその掃除活動を始めました。日本にある『日本を美しくする会』がその元になります。『日本を美しくする会』の相談役である鍵山秀三郎さんの、掃除は世の中を良くするという考えに共鳴して始まりました。

活動をスタートするにあたり、『日本を美しくする会』に連絡を取り、「ドイツ支部としてその活動を始めたく思いますが、今後はドイツ以外の他の国々にも飛び火すると思いますから、会の名称を『世界を美しく(あるいはきれいに)する会』 に変更していただくことは可能でしょうか?」とお聞きしました。

返って来たお返事は、「この掃除活動は既に中国、台湾、アメリカ、イタリア、ルーマニアなどでも行われていますが、特に支部として行われているわけではなく、各国独自に行っています」 というものでした。

そこで先ず最初は、『ドイツを美しくする会』 を考えましたが、「少し大袈裟ではないか?」という意見があり、『ドイツをきれいにする会』という、ストレートに掃除そのままという名前になりました。

ドイツ人にも是非参加して欲しいので、これもストレートに "Wir machen Deutschland sauber" (私たちはドイツをきれいに((掃除))する) となりました。Sauber machen というドイツ語は、きれいにする(掃除をする)という意味になります。

 

 

その後、2022年12月、「日本を美しくする会」から連絡をいただきました。

詳しくはこちら ⇒  会報「清風掃々

 

 

この掃除活動を始めるにあたっては念のために市の掃除の部署にも連絡したところ、「ライン川の川原のゴミ拾いをしたらどうか?」という提案をいただき、最初の数ヶ月は市が提案する数ヶ所の河原で手袋をして手でゴミ拾いをおこなっていました。

 

ところが、提案される場所が重なったり、ゴミがあまり落ちていなかったりと、良く考えられた提案でないことが分かりました。

 

そしてこの掃除活動も、伊達や酔狂でやっているわけではなく、エゴを減らし、治安を向上させる目的なので、そういうシグナルをなるべく広く発信するために、デュッセルドルフ市の顔のひとつである中央駅周辺を掃除の場所に選びました。

 

狙いは的中して、通行人に頻繁に「ありがとう」と声をかけられ、ポイ捨てをする人には思いとどまらせる効果が出て、より多くの人へのシグナル発信に成功しています。

初代のホウキ

第2代目のホウキ

現在のホウキ


長年の経験で使うホウキも変化して、さらには溝にはまったタバコの吸殻を取り出しやすいように釘を取り付けるなどのホウキの改造も施し、最近では掃除に慣れたせいか、中央駅の周辺は5人で済ませられるようになり、人数が6人以上集まった時はインマーマン通りなどのゴミ拾いもおこない始めています。

 

詳しくはこちら ⇒ ユーチューブ動画 をご覧ください。

お勧めメールマガジンお申し込み    鍵山秀三郎一日一話

 

鍵山さんのメールマガジン では、毎日一話づつ、

下記のようなメールを受け取ることが出来ます。

 

以下は抜粋の一部です。

『気づく人になる方法』
気づく人になるための方法は、二つ考えられます。
一つは、微差僅差を追求し続けることです。つまり、身の回りのありふれた平凡なことを徹底することです。
あと一つは、人を喜ばすことです。たえず人を喜ばす気持ちを持っていますと、さまざまなことに対して気づくようになります。この二つは気づく人になるための極意だと思います。

 

 

『苦難や困難が...』
苦難や困難が自分を鍛える貴重な試練です。
いくらいい本を読み、いい話をきいたとしても、それだけで人間が成長するものではありません。艱難辛苦に耐え、マイナスをプラスにすべく努力する中で、人間は成長していくのです。

 

 

『喜者皆美』


 陶芸家、故河井寛次郎の言葉に「喜者皆美」というものがあります。喜ぶ者は、皆美しいという意味です。たしかに、どんな人でも、喜んでいるときの顔は実に美しいものです。美しい人に接していると、自然に心も浄化されます。いつも清らかな心でいたいと願うのであれば、どうすれば人を喜ばすことができるかを考えることです。

 

 

『豊かな社会』

 わがままの許されることが豊かな社会である、と勘違いをしている人がいます。また、贅沢できることが豊かな社会である、と信じている人がいます。わがままをし、贅沢をすればするほど豊かな社会とはほど遠いことだと思います。 豊かな社会にするには、質素を心がけて環境をきれいにすることです。環境が整えば、気持ちが落ち着き、豊かな社会を実現できるようになります。

 

 

  『楽しみは後に』

 

ゆとりは、将来にゆとりがあることから生まれます。 現代人が昔の人に比べゆとりがないのは、楽しみを次から次へと先取りしているからです。 楽しみを先取りすると、残るのは苦しみだけです。だからイライラして、普通だったら我慢できることが我慢できなくなるのです。 ゆとりのない人は我慢できません。

 

 

 

『良知』

 

「慮(おもんばか)らずして知る、これ良知なり」 これが正しいか正しくないかということを、いちいち考えてみたり、人に聞いてみたりしなくても、常識でわかる。これが「良知」だという言葉です。昔の人は、学問はなくても、みんな「良知」を持っていました。ところが高学歴社会が進むにしたがって「良知」、つまり常識がなくなり、世の中が乱れるようになったと思います。

 

 

 

『益はなくとも・・・』

 

ほとんどの人の価値基準が、得をするか、儲かるか、つまり「益がなければ意味がない」という考え方です。はっきり言うと、この考え方こそが、いまの日本を駄目にしてきたもっとも大きな要因だと思います。いまこそ『晏子』の至言、「益はなくとも、意味はある」という言葉に耳を傾けるときではないでしょうか。

 

 

『広める』

 

どんなによいことでも「人がわかってくれてあたりまえ」 という考え方を持っているあいだは広まりません。特に、正しいことであればあるほど、地道な運動をすることです。寝ても覚めても、その正しさを人に知ってもらうという気持ちを持ち続けることです。安易に人の力だけに頼って、楽してよい方法はないかと考えているあいだは、広まりません。

 

 

『日本をよくする法』

 

たとえ政府が百兆円投下しても、いまの日本はよくなりません。後世に借金を残すだけだと思います。日本をよくするには、国民一人ひとりがちょっとした思いやりや人を喜ばせようという気持ちを持つことです。そうすれば、たちまちこの国はよくなると確信をしています。国民一人ひとりの生き方に、この国の将来はかかっています。

 

 

『後世の毀誉』

 

「当今の毀誉は懼るるに足らず  後世の毀誉は懼る可し  一身の得喪は慮るに足らず  子孫の得喪は慮る可し」 幕末の儒学者、佐藤一斎の名著『言志四録』の一節です。現世の毀誉よりも後世の毀誉、わが身の利害よりも子孫へ及ばす影響の善悪を考えよ、という教えです。

 

 

 

2月15日() 『方向を決める』

一部分だけを見ますと、人間誰しも欠点があります。完璧な人間など存在しません。大切なことは、その人がどの方向を向いているかということです。向いている方向さえキチンとしていれば、少々の欠点ぐらい何の問題でもありません。たとえ、一時期つまづいて失敗しようが、過去どんな生き方をしてきたとしても構わないことです。

 

 

 

1月28日(土) 『心を磨く』

人間の心は、そう簡単に磨けるものではありません。ましてや、心を取り出して磨くなどということはできません。心を磨くには、とりあえず、目の前に見える物を磨き、きれいにすることです。特に、人の嫌がるトイレ掃除を永年続けていると、知らず知らずのうちに自分の心も磨かれ、浄化されるような気がします。

 

 

 

1月25日(水) 『気づき』

世の中で、成果をあげる人とそうでない人の差は何か。それはムダがあるか、ないかの差だと思います。では、ムダをなくすためにはどうしたらいいか。それは、気づく人になることだと思います。気づく人になることによって、ムダがなくなります。その気づきを引き出すのに、もっとも効果的だったのが、私の場合、トイレ掃除でした。

 

 

1月24日(火) 『社員の入退者』

高度経済成長時代は、社員の入退者が頻繁にありました。白い封筒を胸ポケットから出されるたびに心を痛めておりました。そんなとき、いつも自分自身に言い聞かせていたことは、辞めていった社員が「辞めなければよかった」、在籍している社員が「この会社に残っていてよかった」と思ってくれるような会社にしたい、ということだけでした。

 

 

1月21日()  『大人の責任』

 「この町の子供たちは、この町の大人たちを見て育つ」という言葉があります。もし、自分のまわりに素行のよくない子供たちがいたら、それはその子供やその子供の親だけの責任ではありません。社会全体の問題です。子供の非を、見て見ぬふりをせず、自分たちの問題としてとらえて、大人が見本、手本を示すべきだと思います。大人が変わらなければ、子供は変わりません。

 

 

1月20日(金) 『履物を揃える』

履物がきちんと揃えてあるだけで不思議と心が落ちつくものです。私には子供が二人います。子供にこれといった躾をした記憶はないのですが、物心ついたころから履物だけはキチンと揃えておりました。いやなことや耐え難いことがあって帰宅したとき、玄関に小さな靴がちょこんと揃えてあるだけで、どれだけ救われたことかわかりません。

 

 

 

 

1月19日(木) 『ムダな努力はない』

かつて人間は、相当な努力や年月を積み重ねないと自分の望むものを手に入れることができませんでした。手に入れるための手順、手続き、年月、辛抱がどうしても必要でした。では、そうした努力がムダであったか。けっしてムダではありませんでした。努力を重ねる過程で、私たち人間は暗黙の規範、規律、秩序を身につけることができたではありませんか。

 

 

 

 

1月18日(水) 『危惧しているのは人の心』

物質的豊かさとは逆に、いまの日本はますます混迷の度を深めています。政治経済だけではありません。もっとも私が危惧しているのは、人心が悪くなっているということです。平気で人に迷惑をかけて知らんふりをする風潮の蔓延。一人ひとりの行為や振る舞いによく表れています。こういう行為や振る舞いが世の中を悪くしている原因です。

 

 

 

 

1月15日(日) 『できるだけ譲る』

 譲れることは、できるだけ譲るようにしていおります。譲ってばかりいたら人にやられてしまうと考えている人がいますが、そういうことはありません。譲れることは譲った方が、逆に強くなれるものです。このことは、いままでの私の人生で、幾度となく体験し痛感してきたことです。人から物を奪うような生き方をしている人は、必ず晩節を汚します。

 

 

 

 

 

57『道徳心の説き方』

道徳心の低下が問題になり、多くの人によって議論がなされております。ところが結果は、ますます悪くなる一方です。なぜか。議論する人に、行動が伴っていないからだと思います。行動の伴わない言葉には説得力がありません。道徳は言葉で説くものではありません。説く人が自らの生き方によって示し伝えていくものです。

 

 

 

56『借金の対処法』

たいした面識もないのに、お金を借りにこられる人がよくおられます。そういうとき、私は、次のようにご返事することにしております。「そんなことを人にお願いするものではありません。ましてや見ず知らずの人間に、お金の工面を頼むこと自体間違っています。そういう考えを持っているから、あなたの会社は駄目になるんです」他人依存では会社はよくなりません。

 

 

 

55 『具体的に動く』

手紙を書くには、まず、机の前に座って、机の上に便箋と封筒を置き、ペンを持つことです。机の前にも座らず、便箋も封筒も用意せず、ペンも持たずにいくら手紙を書こうと思っても、その手紙は永久に書けません。思い立ったことは、具体的に動くことです。具体的に動くと少しずつ前に進むようになります。

 

 

54『ゴミを拾う人は捨てない』

タバコの吸殻を捨てたからといって、急に人生が悪くなるわけではありません。だから無神経に捨てる。その考え方が問題です。捨てる人は捨てる一方。捨てる人で拾う人はまずいません。反対に、拾う人は捨てません。この差は年月がたてばたつはど大きな差となって表れます。人生は、こうしたことの積み重ねですから、無視できません。

 

 

53 『 生きる知恵』

現代人の不幸は、あり余る幸せを与えられているにもかかわらず、満足をしていないことです。逆に、取るに足らない小さな苦労を自分自身で勝手に大きくしていることです。幸せに生きるためには、大きな不幸や災難を小さく受け止め、小さな喜びを大きく膨らますことです。かつての日本人は、無意識のうちにそういう知恵を身につけていたように思います。

 

 

52『日本は不況か』

いまの日本はホントに不況か。率直に言って、不況ではありません。ではどうして不況と感じるのか。われわれ日本人の望んでいることが、現状よりいつも大きいからだと思います。たえず、努力した以上のものを求めているからだと思います。われわれは、その差を不況と感じるのであって、昔と比べていまの日本はけっして不況ではありません。

 

 

51『カッコよいこと』

「カッコのよさは破滅につながる」三浦綾子記念文学館で目にしたこの言葉が、強く印象に残っております。たしかに、自分でカッコよいと思っていることはことごとく、他人から見たらカッコ悪いことばかりです。滅びへの道だと思います。一方、掃除は見た目に不恰好です。自分自身を飾りようがありません。だからこそ、周囲の方々から好感を持たれるのかもしれません。

 

 

50『譲る限界』

できるだけ譲る。私が心がけてきた信条の一つです。できるだけ譲るようにして生きてはきましたが、ある一線を越えたら一歩も譲らないようにしております。一歩も譲らないのは、私個人の利害からではありません。これを譲ったら、社員が幸せにならない。相手にもよくない。この二つが、譲らないときの私の判断基準です。

 

 

49 『苦境時の心構え』

人も企業も、一直線上で伸びるということはまずありません。必ず停滞するときがあります。ときには落ち込むこともあります。そんなとき、どういう心構えでその時期を過ごすかが大切なポイントです。基本は「工夫次第」「自分次第」という考え方です。心構え次第で、人生も企業もよくなったり悪くなったりします。

 

 

 

48『自然農法』

掃除をすると、不思議と会社の雰囲気が変わってきます。社員の意識が変わってきます。日常の不平不満が感謝に変わってきます。掃除をすると、自然農法で育てられた農作物みたいになるんだと思います。自然農法か化学農法か、作物を見ただけではわかりません。しかし、たしかに味が違う。もちが違ってくるのです。掃除にもそんな力が秘められております。

 

 

47『品性の欠如』

『管子』の言葉に「衣食足りて、礼節を知る」とあります。まことに残念なことに、いまの日本は「衣食足りて、礼節を知らず」という状況です。平気で食べ物をムダにする人が多くなっています。似合わないのに高級な服で着飾っています。品性の欠如が原因です。衣食の豊富さに見合う品性の向上を急がねば、国が滅びます。

 

 

46『良知』

「慮(おもんばか)らずして知る、これ良知なり」これが正しいか正しくないかということを、いちいち考えてみたり、人に聞いてみたりしなくても、常識でわかる。これが「良知」だという言葉です。昔の人は、学問はなくても、みんな「良知」を持っていました。ところが高学歴社会が進むにしたがって「良知」、つまり常識がなくなり、世の中が乱れるようになったと思います。

 

 

45『開放的な社会』

閉鎖的な組織は、雰囲気も暗くなり、世間の常識から外れた自分たちだけのルールで動く傾向があります。反対に、開放的な組織は、他者を受け入れ、皆が明るく立ち振る舞っています。社会の閉塞感を打ち破るには、人も組織も明るく開放的にすることが先決です。そのためには、自分だけよければいいという考えを捨てることです。他者を受け入れる広い心を持つことです。

 

 

44 『車の事故』

車をきれいにしておくと、事故が激減します。かつて、忙しいことを理由にして、汚れた車で出かけた時代もありました。不思議なことに、そのころはよく車が故障し、しょっちゅう事故をおこしておりました。たしかに、汚れた車を運転していると、つい運転も荒っぽくなります。その結果、事故につながります。

 

 

43 『率先してやる』

よいと思ったことや、このことは間違っていないと確信したことは、自分が率先して始めるべきです。ディファクト・スタンダード(事実上の標準)という言葉があります。自分が行えば、真っ先に規範を作り、それを示し行えば、真っ先に規範を作り示した人が一番強いという意味です。後からやっても、それなりの力にしかなりません。

 

 

42 『繁盛の基本』

来る人には楽しみを、帰る人には喜びを」。小売業を繁盛させるための基本だと思います。そのためにはどうするか。避けて通れない一つが、徹底した優しさの追求です。具体的には、人なつっこい応対、掃除が行き届いた明るい店内、目に優しい商品の展示、お店の中にいるだけでゆとりが感じられる気持いのいい雰囲気づくり、などです。

 

 

41 『心配するだけでは・・・』

最近読んだ本の中で、次の一節が目に止まりました。「ただ一人の人に正しいことをするよりも、幾千の人たちのことを心配することの方が楽である」。たしかに、ただ心配するだけならば、たとえ相手が何百万人いようと難しいことではありません。しかし、一人でも実際に救うとなると大変です。この大変なことをしなければ、世の中はよくなりません。

 

 

40 『大変なこと』

「仕事上、一番大変なことは何か」 店舗回りをしたとき、社員によく質問します。その質問に対し、待ってましたとばかりに、ありとあらゆる。「大変なこと」が出てきます。もうこれ以上は出ないというとき、白板に書くのが「お客様が来ない」という言葉です。「もし、このこと以上に大変なことがあったら言ってほしい」と申しますと、皆、下を向いて黙ってしまいます。

 

 

39 『リーダー不在』

徳川幕府を打倒し、明治維新を樹立するための、原動力になったのは下級武士でした。当時、時代の大きなうねりの中で、殿様や重臣たちは、右往左往するだけで何もできませんでした。現代の日本もまったく同じような状況に陥っています。肩書だけのリーダーが「ああだ」「こうだ」と言っているだけで、具体的な行動は何も示されていません。

 

 

38 『先祖のおかげ』

人間はつい、自分だけの努力で人生を送っているように思いがちですが、そんなことはありません。ほとんどが両親、あるいはそのまた両親という先祖の徳の恩恵を受けて生かされているわけです。幸い、私が道を踏み外すことなく生きてこられたのも、私の両親が人に迷惑をかけず、顰蹙を買うことのない生き方をしたおかげだと思っています。

 

 

37『有利なことは控え目に』

自分にとって有利(得意)なことはできるだけ控え目に。反対に、自分にとって不利(不得意)なことはできるだけ多めに。この考え方で生きてきました。有利(得意)なことを、無神経に実行していますと、人の反感を買います。不利(不得意)なことを、前向きに行っておりますと、人からの理解が得られるようになります。

 

 

36 『植福』

幸田露伴の教えに、「植福」というのがあります。つまり、将来よいことが起こる種をいま蒔いておこうという意味です。たとえば、自分の裏山に桜を植えます。桜の木は成長するのに時間がかかりますので、植えた人自身には何の恩恵もありません。しかし、後世の人がきれいな桜を見ることができます。この考え方が「植福」です。

 

 

35 『箸よく盤水を回す』

満杯にしたたらいの水を、箸一本で回しても最初は箸しか回りません。ところが、その箸を根気よく熱心に回し続けておりますと、周囲の水が少しずつ回るようになります。さらに諦めずに回し続けますと、輪が広がり、最後には盤水、たらいの中の水全部が大きな渦になって回るようになります。けっして、諦めないことです。

 

 

34『本物人間』

その人が「本物人間」であるかどうかを見分ける判断基準として、二つあると私は思います。一つは、その人の行っていることとやっておることがどれだけ一致しているかです。あと一つは、自分自身の利益に直接結びつかないことに対して、どれだけ無心に打ち込んでいるかどうかです。いずれも重要な判断基準だと思います。

 

 

33『飛躍の前の心構え』

人や会社が飛躍するためには、力を蓄える時期がどうしても必要です。ところが、この力を蓄える時期は、自分自身落ち込んでいるように思えたり、傍目には停滞しているように見えたりするものです。この停滞している時期を、「こんなことをしていても何にもならない」というような心構えで過ごす人は、もうそれでおしまいです。

 

 

32『益はなくとも・・・』

ほとんどの人の価値基準が、得をするか、儲かるか、つまり「益がなければ意味がない」という考え方です。はっきり言うと、この考え方こそが、いまの日本を駄目にしてきたもっとも大きな要因だと思います。いまこそ『晏子』の至言、「益はなくとも、意味はある」という言葉に耳を傾けるときではないでしょうか。

 

 

31 『おかげさまで』

人間、何が辛いといって、人に無視されたり、屈辱的な目に遭わされるほど辛いことはありません。私もずいぶん長いあいだ、辛い思いをしてまいりました。しかしいまとなっては、そういう辛い思いをしたからこそ掃除を続けることができた、と実感しております。あの辛い思いをするくらいなら、掃除を続けることなんか何でもなかったんです。

 

 

3『「愚痴」と「未練」』

「愚痴」と「未練」で人生をよくした人は一人もおりません。私もいままで、会社が危機に瀕したことや、とんでもない負債を背負わされて、その重圧に耐えかねて生死の境をさまよったことがありました。そんなとき、いつまでも「愚痴」と「未練」の世界に閉じこもらなかったのが、こんにち生き残ってこられた大きな理由だと思います。

 

 

29『無関心は愛の反対』

マザー・テレサは「無関心は愛の反対」と言っております。また、ヘレン・ケラーは「人間の病気はどんな病気でも科学の力で治すことができるけれど、無関心という恐ろしい病気を治す薬はない」と言っております。無関心は鈍感ということです。鈍感な人は救いようがありません。感受性を豊かにし、あらゆることに関心を示していくことが、人生を豊かにします。

 

 

28『プラス思考』

ないものを数えるよりも、いまあるものを一つでも多く数えることです。できない理由を考えるよりも、いま自分にできることを一つでも多く考えることです。換言すると「こうだったからこうなった」と考えるのではなく「こうだったのにこうなれた」とか「こうだったからこそこうなれた」という受け止める生き方が、プラス思考だと思います。

 

 

27『なぜ不幸なのか』

「一切の不幸せは、貧しさや不足から生ずるのではない。あり余るところから生ずるのだ」ロシアの文豪、トルストイの名著『戦争と平和』の一節です。現在の日本は、不景気でも何でもありません。三十~四十年前に比べればずいぶん豊かになりました。にもかかわらず不幸なのは、あり余る豊かさに感謝の念が足りないからです。

 

 

26『日本をよくする法』

たとえ政府が百兆円投下しても、いまの日本はよくなりません。後世に借金を残すだけだと思います。日本をよくするには、国民一人ひとりがちょっとした思いやりや人を喜ばせようという気持ちを持つことです。そうすれば、たちまちこの国はよくなると確信しています。国民一人ひとりの生き方に、この国の将来はかかっています。

 

 

25『後世の毀誉』

「当今の毀誉は懼るるに足らず - 後世の毀誉は懼る可し - 一身の得喪は慮るに足らず - 子孫の得喪は慮る可し」幕末の儒学者、佐藤一斎の名著『言志四録』の一節です。現世の毀誉よりも後世の毀誉、わが身の利害よりも子孫へ及ばす影響の善意を考えよ、という教えです。

 

 

24『二十九年ぶりの体育祭開催』

広島市にある中学校を会場にして「掃除の会」を開催したことがあります。その中学校はそれまで、校風が荒れていて体育祭どころではなかったそうです。ところが、連続して三回、徹底した掃除を行ったことがきっかけになって、なんと二十九年ぶりに体育祭が開催されるまでになりました。

 

 

23 『ホテルの備品』

ホテル代の中には石鹸やシャンプーやカミソリ等の代金が含まれています。だからといって全部使わなければ損だ、という考え方が人間を卑しくします。むしろ、使わずに全部残しておいたほうが心が豊かになるものです。部屋の掃除に来た人も、そのぶん、楽ができて喜ぶことでしょう。こういう考え方を持つ人が多くなると、世の中はどんどんよくなります。

 

 

22 『プールに水一滴』

この四十年間、プールに水一滴垂らすような努力をしてきました。プールに水一滴垂らしても、見た目には増えたかどうかわかりません。しかし、少なくとも減ってはいません。間違いなく水一滴分だけは増えている。そんなはかない努力をやり続けてきました。特別な能力を持たない私には、そういう道しか選択の余地が残されていなかったからです。

 

 

21 『習慣が人格を形成する』

自分の人生を急によくしようとしても、よくなるものではありません。一つひとつ、よい習慣を身につける以外に方法がないと思います。よい習慣に裏打ちされたその人の行動が、全人格として表れます。商売をしている人は、お店の雰囲気に表れます。物を作っているひとは、物作りに表れます。習慣が、人格を形成します。

 

 

 

20『いい縁の作り方』

いい縁ほど放っておけば遠のき、忘れ去られていきます。逆に、悪い縁は放っておくとますます近づき、強くなります。いい縁をつなぎ止めておくためには、つなぎ止めようという強い意志を持ち続けることです。そのうえで、人間としてひたむきな姿で人に接することです。ひたむきな姿が人の心をとらえ、いい縁につながります。

 

 

19  『日下の灯

百万本のお経を読もうが、いくら勉強しようが、実践しなければ何の役にも立ちません。知識は使い方を知らないと意味がありません。そのことを実によく言い表しているのが次の言葉です。「百萬典経、日下の灯」。「日下の灯」とは、太陽の下の蝋燭の火、という意味。つまり、太陽の下で蝋燭に火をつけても何の役にもたたないということです。

 

 

18『見返り』

いままで、かなり努力したつもりでも、報われないことのほうがほとんどでした。しかし、それでいいんだと思います。一人でも多くの人が、見返りばかり求めず、努力そのものに意義を見出せるようになれば、世の中はもっと穏やかになると思います。現代人が豊かさの中で、幸せを実感できないのは、努力以上の見返りを求めるからです。

 

 

17『心を磨く』

人間の心は、そう簡単に磨けるものではありません。ましてや、心を取り出して磨くなどということはできません。心を磨くには、とりあえず、目の前に見える物を磨き、きれいにすることです。特に、人の嫌がるトイレ掃除を永年続けていると、知らず知らずのうちに自分の心も磨かれ、浄化されるような気がします。

 

  

16『人の評価』

十の能力の人が、十の力を出しきれば、その人は百点満点です。しかし、百の能力のある人が六十の力しか出さなければ、その人は零点と同じです。けっして六十点ではないのです。つまり、その人の持っている能力を、どれだけ発揮するかで人からの評価が決まるということです。人の評価は、能力のあるなしには関係ありません。

 

  

15『大人の責任』

「この町の子供たちは、この町の大人たちを見て育つ」という言葉があります。もし、自分のまわりに素行のよくない子供たちがいたら、それはその子供やその子供の親だけの責任ではありません。社会全体の問題です。子供の非を、見て見ぬふりをせず。自分たちの問題としてとらえて、大人が見本、手本を示すべきだと思います。大人が変わらなければ、子供は変わりません。

 

  

14『履物を揃える』

履物がきちんと揃えてあるだけで不思議と心が落ちつくものです。私には子供が二人います。子供にこれといった躾をした記憶はないのですが、物心ついたころから履物だけはキチンと揃えておりました。いやなことや耐え難いことがあって帰宅したとき、玄関に小さな靴がちょこんと揃えてあるだけで、どれだけ救われたことかわかりません。

 

   

13『危惧しているのは人の心』

物質的豊かさとは逆に、いまの日本はますます混迷の度を深めています。政治経済だけではありません。もっとも私が危惧しているのは、人心が悪くなっているということです。平気で人に迷惑をかけて知らんふりをする風潮の蔓延。一人ひとりの行為や振る舞いによく表れています。こういう行為や振る舞いが世の中を悪くしている原因です。

 

  

12『おまけの欲望』

初めて赤ちゃんを宿したときは、ほとんどの親が「五体満足な子でありさえすればいい」と思ったはずです。ところが、無事、子供が生まれると、明るくて、優しい子供になってほしいとか、スポーツができて、勉強もできる子供になってほしいと欲が出てきます。もともと子供を宿したときの願いが本来の願いであって、あとの欲望はおまけだと思います。

 

 

11『動中の工夫』

論理的に理解し、十分納得してからでなければ行動に移せない人は、一生かかっても何もできません。また、行動する前から「わかった、わかった」という人の理解も非常に浅いものです。行動しながら考えるからこそ活きた知恵も湧いてきます。白隠(はくいん)禅師の次の言葉が、そのことをよく言い表していま す。「動中の工夫は静中の工夫に勝ること幾千億倍」

 

  

10『官庁街ゴミ』

霞ヶ関の官庁街を通るとき、よく目にすることです。植込みには、投げ込まれた空き缶など雑多なゴミが放置されております。このような状態を、毎日登庁す るお役人の皆さんが、何も感じないのが問題です。われわれが職域をきれいにするように、お役人さんも自分たちの職域である官庁街をきれいにすることから始 めたらどうでしょう。

 

   

9『掃除の範囲』
会社周辺、約三キロメートル範囲の道路や公園を毎日掃除しています。ときには橋下の河川敷や道路下のフェンスで囲まれた資材置き場の中まで掃除をするこ とがあります。「掃除をする広さと深さが、その人の人格に比例する」と言われたのは櫻沢如一先生です。できれば、掃除を通して自分と社員の人格も広げられればいいと思っております。

  

8『ゴミを拾う人は捨てない』
タバコの吸殻を捨てたからといって、急に人生が悪くなるわけではありません。だから無神経に捨てる。その考え方が問題です。捨てる人は捨てる一方。捨てる人で拾う人はまずいません。反対に、拾う人は捨てません。この差は年月がたてばたつはど大きな差となって表れます。人生は、こうしたことの積み重ねですから、無視できません。
 

  

7『精神浄化作用』
掃除をしていて、人をだましてやろうとか、人を陥れてやろうなどと考えることはありません。また、人を憎んだり、恨んだりするような気持になったこともあ りません。不思議と、掃除をしているときはきれいな心でやっております。掃除をすると心が磨かれるといわれますが、たしかに、掃除には心をきれいにする精神浄化作用があるように思います。

 

  

6『謙虚』

どんなに才能があっても、傲慢な人は他人を幸せにすることができません。人間としての第一条件は、まずは謙虚であることだと思います。その点、トイレ掃 除をしていると、自然に謙虚な気持ちになります。あの人はトイレ掃除をしたら傲慢になった、という話は聞いたことがありません。トイレ掃除を続けると、例外なく謙虚な人間に変わります。

 

  

5『足元のゴミ拾いから』

「心の教育が大切」とか「奉仕活動の義務化」などと、いつまでも抽象論を唱えているのが政治家です。政治家が権限だけを駆使して、実情に沿わない通達をいくら乱発しても何も好転しません。政治家が本気でそう思っているのならば、自分たちの職域である永田町の周りをきれいに掃除することです。散らかっている足元のゴミを拾う実践から始めることです。

 

  

4『世の中を変えるには』

この日本をよくするのは、財務大臣でもなければ、総理大臣でもありません。国民一人ひとりの、ほんのちょっとした生き方にかかっています。不景気も、外国 から一方的に持ち込まれたわけではありません。みんな、私たちの毎日の行動が、こういう世の中を作り出したのです。世の中を変えるためには、一人ひとりの 行動を変える以外に方法がありません。

 

  

3『目的と姿勢の一致』

政の場で、問題が解決される原因の一つは、議論の目的と議論をする人の姿勢が一致していないからだと思います。たとえば、発展途上国の貧困や環境問題を討 議するのに、きらびやかで立派な会議室を使用する。高級な衣類や装身具を身につけて出席する。尊大な態度でふんぞり返っている。居眠りをする。いずれも論外です。

 

  

2『本当のムダ』

掃除を始めたころ、「おまえのやっていることは、ざるで水をすくっているようなものだ」とよく言われ、ムダであることを指摘されました。しかし、私から見ると周囲の人のほうがそのような生き方をしているように思えました。現に、バケツで汲んだ水をざるに注ぐようなムダな会社経営をしたために、多くの会社が消えていきました。それこそ、ムダというべきでしょう。

 

 

1『掃除の歴史』

最初の十年間は、ほとんど私だけで掃除をしていました。
十年過ぎるころから、一人二人と手伝ってくれる社員が現れてくるようになりました。二十年になるころは、仕入先やお客様から評価されるようになりました。二十年を過ぎるころには、仕事に直接関係のない方々が掃除研修に来社されるようになりました。三十年過ぎるころから日本全国に「掃除に学ぶ会」ができるようになりました。

 

 

 

 

 

日本を美しくする会元会長、田中さんと奥様が訪独の際に、ライン川下りの観光名所をご案内しました。