日本を美しくする会・掃除に学ぶ会

2022年12月、あるご縁にて、この活動が始まった元々の日本の掃除活動組織である「日本を美しくする会」・「掃除に学ぶ会」の編集部代理、冨田和司さんから、同会の会報「清風掃々」にこちらの活動を紹介したいという問い合わせが入りました...:

 

「清風掃々(せいふうそうそう)」は、日本を美しくする会が発行しています、全国各地の賛助会員向けの会報誌(年4回)です。各地での掃除活動や「便教会」の様子などを発信しています。昨年からは「清風掃々」専用ウェブサイトも整備され、ウェブでの情報発信も始めました。
今回、「ドイツをきれいにする会(=掃除で平和を招き隊)」のことや掃除活動についてご紹介いただきたいとのことです。私も個人的に、コロナの閉塞感がまだ残る日本で、ドイツでの掃除活動のことを知ったならば、(私同様)全国各地の掃除の会の皆さんの大きな励みになると思います。
もしお時間が許すようでしたら、一度zoomなどでご説明させていただくことは可能でしょうか(20~30分程度で済むかと思います)。あるいは、添付しておりますシートにご返答いただく形でも結構です。お聞きしたい内容については、添付資料に記載しています。
年末のご多忙のところ大変恐縮でございますが、もしご協力いただけましたら、幸甚に存じます。
ご不明な点などございましたら、私までご連絡ください。
長文失礼いたしました。
そこで早速、次のテキストを送らせていただきました。
早速ですが、ウェブでもテキストでも、どちらでも基本的にはお安い御用ですが、実はその辺のところは弊活動のウェブサイトに既に明記してあります。次のページ「生い立ち」に特に明記してあります。

 

● 印象に残っている出来事やエピソード(ドイツでの反応なども含めて)
● 掃除実践を通して得られたこと、自分や周囲の変化など
● 活動の目標や願望など(こんな会にしたい、こんな街にしたい…)

 

ドイツは大陸の一国です(*)。日本とは違って、国民の利己主義、自己主張が大変強いです。社会道徳性も、ヨーロッパでは最も高い方とはいえ、日本と比べるとかなり低いです。

 

映画館やサッカー場で、自分が飲み食いした飲み物、食べ物のコップや器、紙袋等を当たり前のようにそこに置いていきます。

 

日本人にとっては見ていられません。それに気が付いた国際サッカーの観客席での日本人の掃除が始まったのではないかと想像できます。

 

そんなドイツで街の掃除活動をおこなっても意味があるのかどうかは分かりませんでした。

 

でも「前例のないことは、まずはやってみよう!」ではありませんが、「善は急げ」とばかりに、思いついた2015年の5月に早速始めました。

 

幸いに、周りの友人知人、飲み仲間を誘ってみると、10人前後が加わってくれました。

 

始める時に、念のために市役所と確認・相談をしたところ、「ライン川の河原のゴミ拾いはどうでしょう?」と、掃除をする場所のリクエストを受けました。

 

ですが、何回かそのリクエストに応えている内に、それがあまり的を得ていないことに気がつきました。

 

どういうことかというと、それがあまりゴミの落ちていない場所であったり、わずか数回で同じ所を一巡してしまい、以前やったばかりなので、ゴミが落ちているわけがない場所だったりしました。

 

河原なので、そんなに頻繁にはゴミは発生しないのです。そこで目をつけたのが中央駅でした。

 

中央駅は人が集まる場所。それが悲しいことではあっても、人が集まる場所にゴミも犯罪も発生するのはどうにもならない事実です。

 

ゴミが多い場所なら掃除のやりがいもあり、さらには人目につきます。何と言っても中央駅は空港と並んで、言ってみれば「町の顔」でもあります。

 

人目につけば、「(掃除に学ぶの)シグナル発信」には打ってつけです。ボランティアの掃除活動も、単に伊達や酔狂、暇つぶしでおこなっているわけではありません。

 

市役所に相談すると、駅前、駅裏は市の管轄ではなくて駅の管轄とのこと。それでも賛成はしてくれました。

 

デュッセルドルフ中央駅前、駅裏の場合、落ちているゴミのほとんどはタバコの吸い殻です。

 

タバコの吸い殻を捨てる一人一人が、「自分のタバコの吸い殻1個くらい」という気持ちを持つから平気で捨てられます。

 

ところが、それを掃除している私たちを見ると、その行為をあらためてくれる人たちがいます。

 

「シグナル発信」の価値があるわけです。今まで平気で地面にタバコの吸い殻を捨てていた人が、少し余計に歩いても、ゴミ箱まで行って捨ててくれます。

 

あるいは我々の掃除をしている所に来て「お願いね!」と言わんばかりに目の前にはきやすいように置いていきます。

 

日本とは違ってこちらではポケット灰皿などは売っていません。もし売っていても誰も買わないでしょう。

 

中には勿論知らんぷりでポイ捨てを続ける人もいますが、私たちも100人中100人の効果・成果は求めません。

 

何よりも励みになるのは、毎回のように何人かは通りがかりに「ありがとう」と声をかけてくれる人がいることです。

 

人によっては遠くを歩いていても、わざわざ近づいてきてくれて声をかけてくれる人もいます。

 

それは何を意味するかというと、市民の大半は、ボランティアの掃除活動を「良し」と考えてくれていることになります。

 

勿論そうでない人もいます。「そんなことして何の意味があるの?」と過去に一度だけ言われたこともありますが、それは例外中の例外です。

 

そういう人にはついつい、鍵山秀三郎さんの、「たらいの水を箸一本で回そうとすると」のお話しをしたくなってしまいますが、理解してもらうのは難しいと思うのでやめておきます。

 

つい最近、ちょっとびっくりしたことがありました。

 

たまに子どもが掃除に参加してくれる時がありますが、そういう時は子どもたちにお小遣いを€1〜2(2百円前後)くれるおばさんがいたりします。

 

とても微笑ましい光景です。ところが先日、何とこの私、こんなオッサンに€5,00をくれる人が現れました。

 

こちらの両手は箒とちり取りで塞がっているせいか、あるいは有無を言わせないためか、近づいてくるなり、「ありがとう!」と、折りたたんだ€5,00紙幣を襟の中に押し込んで去っていきました。

 

一瞬、「これは返さなきゃ」と思う反面、返すのは逆に相手の気持ちを理解しない行為だと思い直して受け取っておきました。

 

ですが、何と言っても嬉しいのは、同じ日本人に、「そういうことをしてくれる日本人がいてくれることを誇りに思う」と言われたことです。

 

国際サッカー試合の日本人の観客席の掃除にもそういうメッセージを見かけますが、これが私たちの一番のやる気につながっています。

 

ところで「なぜ掃除?」と聞いてくる人はよくいます。「まさかそれ、ボランティア?」と不思議がるわけです。

 

その場合は、相手の理解度を探りながらお答えしています。

 

理解度が低そうであれば、「みんな(もの)好きでやっています!」とか、

 

中級レベルなら「タバコの吸い殻一個でもゴミです。ゴミを平気で道に捨てるのは良くないことです! のシグナル発信です!」とか、

 

きれいさと犯罪率には相関関係があります」とか。

 

上級レベルなら「割れた窓理論」のお話しを出します。

 

但し、そういうお話しをしていると、掃除の時間がなくなってしまうので、詳しくは私たちのウェブサイトを見てくださいと言っています。

 

でも「いいね!」と思ってくれる人が多くても、参加者の増加にはなかなかつながりません。

 

実際には、参加者の数は通算ではかなり増えましたが、帰国する人、デュッセルドルフを去る人もいるので増えたように見えません。

 

ちなみに参加者の国籍ですが、最も多いのは日本人ですが、他の国のひとたちもいます。

 

これは私の交友関係によるところもありますが、今までに韓国人、中国人、イラク人、マリ(アフリカ)人、クロアチア人などが積極的に参加してくれました。

 

クロアチア人は現在も常連さんの1人ですが、その時だけの飛び入り参加者も時々現れます。

 

タクシー乗り場のタクシードライバーたちが参加してくれることもあります。

 

最近は、インターナショナルスクールの日本人高校生から参加希望の連絡がありました。

 

ドイツでは、課外授業の一環として、何かのボランティア活動に参加するというものがあるのですが、この活動を選んでくれて嬉しく思います。

 

社会道徳性の高い日本とは違うので、どれだけ広がってくれるのかは分かりませんが、鍵山さんが続けられた20年、30年は頑張ってみようと思います。

 

 

大陸の一国の意味

海外旅行程度ではなく、最低でも英語ができて、ある程度長い海外在住経験がないと理解しにくいことですが、大陸の上では太古の昔から数え切れないほどの戦争が続いてきました。

 

一度、Wikipediaで「ヨーロッパの紛争一覧」を見ていただくと、日本人なら誰でも驚愕するほどの数の戦争が、ヨーロッパでは繰り返されてきました。

 

大きな大陸の上に複数の国々が存在して、頻繁に戦争が起こると、国境線も頻繁に変わります。

 

今日の隣村は明日の敵、その逆も然りで敵味方が入れ替わり、敵がいつどこにいるのか分からない不安な状態が続いてきたのが大陸で、それがDNAに刻み込まれています。

 

そこで教育の方も、そんな環境の中でもしたたかに生きてゆけるように、小学生の頃から自己主張を叩き込まれます。

 

例えば日本ではテストの結果がそのままイコール成績ですが、ドイツでは、テストが満点でも、授業中に手を上げて頻繁に発言をしないと良い成績を貰えません。

 

生きていくための処世術として自己主張をしろ、自分をアピールしろと教育されるわけです。

 

実際には小学生以前、生まれてすぐの頃からそれは始まります。

 

子どもが生まれると、いえ、実際には生まれる前に子供部屋とベビーベッドが用意され、幼児の頃から1人で寝させられます。(但しこれは一般論で例外もあります)

 

貧困家庭にはそこで国がお金を出します。離婚すると、どちらの親も各自で子供部屋を持つことが義務付けられているほどです。

 

早い頃からの独り立ちを促されるわけですが、それが個人主義、自己主張につながってゆきます。

 

短所の面では、それが子どもの権利増長につながり、親が子どもを引っ叩けないなどということにつながります。

 

スポーツでも語学でも何でも良いのですが、日本人が普通、「何々を少しできます」と言うと、そこには遠慮、謙遜の自己過小評価が入るので、「ある程度出来る」ことを意味します。

 

ところがこちらでは、「出来ます!」と本人が言っても、自己過大評価が入っているので、たいしたことがないことが多いのです。